慧喜~Trip of the art

ザレ×ゴト

演劇を観に行ってきました
演劇といっても、有名人が出演するような舞台ではなく、
役者を志す人達が集まって出来た若手劇団の演劇です
実は、以前からちょこちょこ観に行ってまして(誘われてだけど)
その都度、ブログにアップしようと思っていても、
記事の作り方が難しく、いつも断念してたんです
何故なら、やっぱ目の前で観てナンボというか・・・
劇の内容とか、その場の臨場感を文章では伝えるのってムズカシイ。
なので、今回、劇団さんの紹介だけさせて頂くことにします

今回、観たのは、「ザレ×ゴト」さんの「歌う金魚のアラベスク」というお芝居。
会場は、新宿区中落合にあるシアター風姿花伝というところでした。
小規模な劇場での公演ながら、若い役者さんが多い為か、お客さんも多く、
目の前で、役者さんが声を張り上げて演じてる様は、スゴイ迫力
アウトドア用みたいな小さい椅子に、ギュウギュウ詰めに座りながらの
観賞なので、その狭苦しさに初めは窮屈な思いをしてたんですけど、
途中から全く気にならなくなるくらい引き込まれてしまいました
衣装とかも、ほとんど自前っぽいのに、決して安っぽく感じないのは、
若い役者さんたちの演技に熱意が込もってるから・・・
観ているこちらも活気づくというか、パワーをもらうような感じでした
歌う金魚のアラベスク パンフ

そんな「ザレ×ゴト」さんのHPはコチラです(ブログはコチラ)  ← ← ←   ご興味のある方はクリック 

終了後、入り口で劇団のTシャツが販売されてました。
そのシャツを購入した人は、お気に入りの役者さんに
サインを書いてもらったりとか  → → → 
今は、修行中の役者さん達だけど、
いつどこで花が開くか分からないですしね

役者さんによっては、特定のファンがついたり
公演のたびに足を運ばれてる常連さんとかいるみたいで、
そんな人達から、たくさん声かけをしてもらってました。
こういうファンの存在って、とても励みになるでしょうね
ザレ×ゴト2

若手劇団による演劇鑑賞、是非オススメです。一人でフラっと入って、席さえあれば当日券で観れちゃうのも気軽だし
毎回観るたびに、「あ・・・自分も頑張らなきゃ」とかって思う・・・
今回は都内の劇団でしたが、地方にも地方の特色を生かしつつ、自分達を発信している若手劇団、結構あるんですょ
夢に向かってひたむきに頑張ってる若い人がたくさんいるという事実に、励まされます


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BEST of the BEST展 (2)

前回に引き続き、ブリジストン美術館「ベスト・オブ・ザ・ベスト展」の記事です。 (前回の記事はコチラ
前回は、西洋コレクション(の一部)をご紹介させて頂きましたが、今回は、日本の近代洋画のご紹介です

株式会社ブリジストンを創立した石橋正二郎氏ですが、本格的に絵画収集を始めるきっかけとなったのは、
福岡県久留米市で、小学校時代の図画教師だった洋画家・坂本繁次郎との再会でした。
齢28歳にて夭折した同郷の画家・青木繁の作品を惜しんだ坂本繁次郎は、
石橋氏に、青木繁の作品を集めて美術館を作ってほしいと語ったのだとか。
その言葉に感じ入った石橋氏は、その後、青木繁を中心として日本近代洋画の収集を始められたのだそうです

青木繁(1882-1911)の代表作≪海の幸≫
石橋氏は、作品を購入したら、好きな絵画ほど自宅に飾って楽しまれていたのだとか。
食堂の欄間には、この≪海の幸≫が架けられていて、毎朝、眺めながら朝食をとられていたのだそうですよ

海の幸1
青木繁≪海の幸≫1904年 石橋美術館所蔵  重要文化財

1904年(明治37)年の夏、東京美術学校を卒業した青木繁は、
画友の坂本繁二郎、森田恒友、そして恋人の福田たねと、制作旅行のため房州(千葉県)布良にやって来ました
布良(めら)に約2か月近く滞在し、数多くの海の景色を描きましたが、
のちに青木繁の一大傑作となる≪海の幸≫も、この布良海岸にて制作されました

裸の漁夫たちが大きなフカ(サメ)を抱えて、海岸に戻ってくるという、野趣にとんだ、迫力ある≪海の幸≫。
この絵は、その年の秋に白馬会展に出品され、青木繁の名を日本美術史上不動のものにします。
しかし、それ以降の青木繁の画家としての人生は、決して順調なものではなく、
最期は放浪生活の末に、28歳という短い生涯を終えました。
≪海の幸≫は、短い人生の中で、精神的にも芸術的感性においても、最も意気軒昂だった時に描かれた作品だともいえます。
運命の恋人と共に、絵筆一本で立とうとしている出発の時であった、一夏の青春と才能の煌きといったものが感じられます。

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また、石橋正二郎氏は、
日本近代洋画の巨匠、藤島武二(1867-1943)とも懇意になり、
藤島武二が保管していたローマ留学時代の作品15点を
一括して譲り受けたのだそうです。
当初から、美術館の創設を考えていた石橋氏に、
老画家から愛蔵品が託されたのでした

中でも、藤島武二の最高傑作の一つとされる≪黒扇≫ → → → →
ローマ留学時代に肖像画を得意とするカロリュス・デュランに師事。
その時に、描かれた婦人像の名作として知られています。
一度は、石橋氏に託したものの、
3日で「あの絵がないと寂しくて寝られないから」と
返してもらったという逸話が残っているのだとか
この絵に対する藤島武二の強い思い入れを感じます。
しかし、最晩年になって、石橋氏の強い懇望により、
ブリヂストン美術館に譲渡したということです
黒扇1
藤島武二≪黒扇≫1908-09年 重要文化財

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次は、黒田清輝≪ブレハの少女≫1891年→ →
日本洋画の父ともいわれている黒田清輝(1866-1924)ですが、
18歳の時に政治家を目指し、渡仏した先で
印象派の明るい絵画に出会い、魅了されます。
彼の最初の師は、ラファエル・コラン。
渡仏の2年後に、政治家を断念し画家になる決心をするのも、
コランの元で絵を描き始めたのがきっかけなのだとか。

1891年、23歳の時に、友人の画家・久米桂一郎と、
パリを発ってブルターニュ半島のブレハ島に遊びに行き、
景色や交流を楽しみながら一ヶ月滞在します。
その間に、現地の子どもをモデルに雇って人物画を描きました。
それが≪ブレハの少女≫です。
少女の燃え立つような赤毛、狂気をはらんだ風貌、
左右で大きさの異なる靴、大きく欠けた碗。
彼が好んだ穏やかな画風とは打って変わり、
筆遣いが荒々しく、画面も殺伐としています。
旅先での開放的な空気が、彼の内面にある激しい情熱を引き出した・・・・・
といわれています
ブレハの少女
黒田清輝≪ブレハの少女≫1891年

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次は、安井曾太郎≪F婦人像≫ → → →
安井曾太郎(やすいそうたろう1888-1955)は、
昭和期を代表する日本の画家です。

安井曾太郎は、19歳の時に渡仏。7年間のフランス留学の間に、
セザンヌ回顧展に遭遇して、セザンヌの絵に傾倒していきます。
第一次世界大戦の勃発と、体調不調のために帰国しますが、
セザンヌの影響からなかなか抜け出せず、
十数年もの間、長いスランプに陥ります

しかし、得意なデッサン力を生かした丹念な写生を下敷きに、
遂に、「安井様式」ともいえる独自のリアリズムを確立。
「安井様式」とは、
「対象を写実的に写したあと、形や色を単純化し、
さらに対象から受けた実感を、より明確に表現するため
強調やデフォルメを加える」
といったもので、
「デッサンの神様」とまで云われていたほど
写生に評価が高かった安井曾太郎ですが、
完成した絵は、「まるで写真のような」と
云われるようなものではありませんでした。

そんな「安井様式」と呼ばれる、
写実と非写実の中間的な独自のリアリズムによって、
多くの画家たちに影響を与え、静物画や肖像画において
多くの傑作を残すこととなったのです。

≪F夫人像≫は、美術評論家で収集家の福島繁太郎氏の
夫人である慶子さんを描いたものなのだとか。
完成後、大胆にデフォルメされているにもかかわらず、
福島夫妻はこの出来映えを気に入り、
以後、安井曾太郎を懇意にしたそうです

肖像画を依頼した夫人は、わざと細かい縞の入った、
描くのが難しそうな『安井ごろしの服』を着て
モデルになったのだとか
描かれた夫人の顔には、そんな夫人の性格も
きちんと投影されてるような・・・笑
F婦人像
安井曾太郎≪F婦人像≫1939年
薔薇
安井曾太郎≪薔薇≫1932年

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次は、佐伯祐三≪テラスの広告≫→ →

佐伯祐三(1898-1928)は、パリに恋焦がれ、
パリの下町を描き続けた画家として知られています。
1924年、ずっと恋焦がれていたパリに、
妻子と共に移り住むことになりました。そこで、
パリの路地裏を描くユトリロの作品に触発され、
製作に没頭、独自の世界を作り上げていきました。
パリの町並み全てが、彼にとって憧れのモチーフであり、愛する異国の下町を描き続けたのです

翌年、体調を崩し帰国するも、情熱を捨て切れず、
病身(肺結核)をおして、1927年に再び一家で渡仏。
以前にも増して、製作に没頭していきます。
≪テラスの広告≫は、この頃に描かれたもので、
当時、佐伯祐三のアトリエからほど近い、
パリ14区にあったカフェを描いた作品なのだとか。
テラスの広告
佐伯祐三≪テラスの広告≫1927年

≪テラスの広告≫は、佐伯作品の中でも、最高傑作と云われている作品です。
愛するパリの下町に佇む、佐伯祐三自身の憧れ(心象風景)が描かれているかのようにも感じます・・・
この頃の作品には、踊るような筆致で、黒い文字を描かれた作品が多く見られ、
これは、帰国していた僅かな期間に感得したと思われる、日本の書からの影響ではないかと云われています。

そして、1928年、パリを再訪して一年を過ぎた時、恐れていた結核により、大量に吐血します。
体が衰弱していくと同時に、精神も蝕まれていき、最期には、精神病院の一室で、30歳という短い生涯を閉じました。
佐伯祐三は、若い頃に父親を失い、弟も肺結核で亡くしているそうで、自らの生涯に対しても、死そのものへの
恐怖を持っていたといいます。自身も遺伝性の肺結核を持ってるかもしれない、という恐怖があったかもしれません。
常に死と隣り合わせだったからこそ、全身全霊で描画に打ち込んできたのかもしれない・・・
短くも、芸術家として一途に燃え上がった人生。

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最期は、藤田嗣治(ふじたつぐはる)の二点の絵。
上画像が、≪ドルドーニュの家≫
下画像が、≪猫のいる静物≫

藤田嗣治(1886-1968)別名レオナール・フジタは、モディリアーニ、シャガール等と並んで
「エコール・ド・パリ」を代表する画家の一人であり、フランスでは巨匠の一人とみなされています

1913年に、26歳でパリに渡った藤田嗣治は、
フランスに根を張る覚悟で、
西洋の画家とも対等に渡り合い、
積極的に創作活動に励みました。
結果、美術史に名を残す成功を収めました。
日本では認められなかった才能が、パリで開花。
私生活では、奇抜な扮装で舞踏会に出席し、
目立つおかっぱ頭やヒゲも手伝って
社交界の花形ともなりました。
しかし、パーティでどれほど浮かれていても、
創作活動においては誰よりも熱心で
ストイックだったと云われています

当時、活躍していたピカソをして天才といわしめた藤田嗣治の画風は、「和と洋の融合」でした。
日本画の面相筆で細い輪郭線を描く。
透明感のある下地を作り、
浮世絵のように下地を残して、肌として見せる。
それは、「乳白色の下地」と呼ばれ、
藤田嗣治の代名詞にもなったのです
(藤田嗣治は、下地の作り方を隠していましたが、
研究でベビーパウダーを使っていたことが判明。
当時、この下地が、パリの人を魅了し、
ピカソが彼の個展に来た時、
3時間近くも作品を見ていったのだとか!)

ドルドーニュの家
藤田嗣治≪ドルドーニュの家≫1940年
猫のいる静物
藤田嗣治≪猫のいる静物≫1939-40年

1929年、世界恐慌を機に、16年ぶりに一時帰国。
日中戦争、次いで太平洋戦争が始まると、軍部の要請で戦線を取材し、戦争画の製作に没頭します。
藤田嗣治は、従軍画家の仕事に従事することによって、少しでも祖国に貢献したいと願っていたのだとか。
そして、それはパリ帰りの彼にとって、日本人としての自分を受け入れてくれる場所であったのかもしれない・・・とも思います。

やがて、戦争画家としての主導的立場となっていき、各国の戦地に派遣されます。
そして終戦後に、一転して手のひらを返されたかのように、日本画壇から戦争協力者として批判を浴び、
その責任をとる形で、彼は日本を離れることになります。
彼が残した手記には、「『国のために戦う一兵卒と同じ心境で書いた』のになぜ非難されなければならないか」
と、当時の想いが述べられています・・・
この当時の批判には、国際舞台での成功を収めた藤田嗣治に対する、日本画壇の嫉妬が根底にあったようです。
その後も、日本では終始、藤田作品が正当に評価されることはなかったのだとか・・・

そして、藤田嗣治は10年ぶりに渡仏して、仏国籍を取り(日本国籍は抹消)、カトリックに改宗。
名前をレオナール・フジタと改めた彼は、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。
晩年は、世間と交流を絶ち、空想上の子供の絵と宗教画に没入したといいます。

藤田嗣治が残した手記には、
「私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。私は世界に日本人として生きたいと願う。
それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う」
という言葉が残されています。
パリで、異邦人としてではなく、誰よりも日本人として生涯を賭けていきたかった彼の魂の叫びが聞こえてきそうです。

藤田嗣治のことを調べていくと、ポーラ美術館(神奈川)にも彼の作品がたくさん収蔵されているみたいで、
そちらもまた、素晴らしいコレクションばかりです・・・
(ご興味のある方はクリック → → →ポーラ美術館HP

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「ベスト・オブ・ザ・ベスト展」は、本当に見応えありました
とても、個人のコレクションから出発した私立美術館とは思えないほど、
質の高い作品がたくさん観れて良かったです。
そして、意外にも敷居が高くないというか気さくな雰囲気なのもグッド
観賞後に寄ったミュージアムショップでは、
ポストカードが一枚50円で売ってたので、つい大量買いしてしまった
50円って安い!大体、どこの美術館行っても100円以上しますよね?
(休館前だったからかな?)
入館料も、一般800円と、かなりお安いと思います
(私は、100円引きクーポン持参で700円でしたっ嬉)

ところで、最後に・・・エドウァール・マネ≪自画像≫1878-79年→ → →
クロード・モネと同様、印象派の画家として有名なマネですが、
マネは40代の頃に自画像を二枚だけ描いているそうで、
そのうちの一枚が、今回、展示されていました。

もう一枚は、2010年にロンドンのサザビーズ(オークション)で、
2240万ポンド(約30億円)で落札されたのだとか。
しかも、それは上半身だけの自画像だったそうです 
すると・・・下世話な話、ブリジストンの≪自画像≫は、
一体、どれくらいの価値があるんだろう・・・?!って思っちゃいますよね笑
そんな価値のある芸術品が、都心の一等地にある美術館で
お安い入館料で観賞できるのですから、スゴイと思います
自画像
エドウァール・マネ≪自画像≫1878-79年

バブル期などに、多くの資産家が、割のいい運用資産として美術品などに夢中になっていたことがありました。
石橋コレクションは、それとは全く異なるもので、恩師の頼みから青木繁の作品を収集し始めたことに端を発しており、
更に、美術館を創設した石橋正二郎氏が 「世の人々の楽しみと幸福の為に」「名品は個人で秘蔵すべきではない」と、
文化的公共性に対し優れた意識を持った指導者の方であったこと・・・
そのことも併せて深く感動した「ベスト・オブ・ザ・ベスト展」でした

ブリジストン美術館の再開、本当に楽しみです 前回の記事と同様、今回も長くなってしまいました・・・
訪問して下さった皆様、最後まで読んで頂いて、本当に有難うございます・・・


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BEST of the BEST展 (1)

ブリジストン美術館に行ってきました。開催されていたのは、「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展です
ブリジストン美術館とは、株式会社ブリヂストンの創業者・石橋正二郎さんの個人コレクションを公開するため、
1952年に開館した美術館です。
開館63年という歴史を持つ美術館ですが、ビル新築工事のために5月18日より数年に渡り休館するそう。
(再開は「東京オリンピックの前には」とのことです・・・)
休館する前に是非に!!と駆けこみ的に行ってみたところ、同じ考えの人が多かったみたいで、めっちゃ混雑してました
チケットを買うのに、外にまで行列ができるとか・・・汗

ブリジストン美術館1ブリジストン美術館2


石橋正二郎さんは戦前、日本近代洋画を収集していましたが、
戦後「日本の洋画家達の作品と、彼らがお手本にしたフランスの画家達の作品を一緒に並べたら、光彩を放つだろう」
との想いから、フランスの西洋美術を収集しはじめました。
「明るい絵が好き」で、とりわけ印象派を好み、質の高いコレクションを作りあげていきました

1950年(昭和25年)に初渡米した際、都心のビルにあったニューヨーク近代美術館に感銘を受け、
帰国後、自らのコレクションを一般公開することを決意し、都心の一等地にブリジストン美術館を設立。
当時、フランス美術を常設で見られる都内唯一の美術館だったそう。
欧米への渡航が困難な時代に、一般の人々が西洋美術に触れる場となり、若い画学生の学びの場ともなりました

ブリヂストン美術館の核となるコレクションは、19世紀以降のパリを中心に展開されたフランス美術と、
(マネ、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソなど、日本で人気の高い印象派など)
フランス美術から影響を受けて発展していった日本近代洋画など。
(黒田清輝、青木繁、坂本繁次郎、藤島武二、安井曾太郎、藤田嗣治など)

1962年には、石橋コレクション50点がフランスに渡り、パリ国立近代美術館で展示され、
「印象派のコレクションとしては、世界十指の一つ」と好評を得て、石橋正二郎さんの存在はフランスメディアの注目を集めました。

そして、ブリジストン美術館設立後、「美術館を私物化することなく、広く社会と共有したい」という思いから、
財団法人石橋財団を設立。コレクションの大半を財団に寄付して、美術館の運営と管理を委ねました。
同時に、石橋美術館も創設して、郷里である福岡県久留米市に寄贈。

現在も、石橋コレクションを軸として、60年以上にわたり継続して作品収集を行っているのだそうで、
石橋財団が持っているコレクション数は、現在2585点 
(そのうち、1625点が東京のブリジストン美術館に、960点が福岡の石橋美術館で管理されています)
これらのうちから、最高で最高の160点を選び抜き、一挙公開したのが「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展なのです

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そんな優れた展示作品の中から一部分ですが、紹介させて頂きます!・・・まずは、クロード・モネの≪睡蓮≫
日本でも人気の高い連作の1枚です。睡蓮の形も定かではない抽象画のような絵ですが、配色も美しいですし、
穏やかな自然の中で、自分が池の前に佇んでいるかのような心地よさを感じますね・・・

モネは、少年の頃から日本が好きで、
浮世絵の収集家でもありました。その日本趣味は、
自宅の庭を日本庭園風に造りあげるほどで、
しだれ柳を植え、池を造り太鼓橋を架けました。
≪睡蓮≫は、後半生30年にわたって取り組み、
作風をどんどん変えていきましたが、
初期の頃の『睡蓮』には、
その太鼓橋が描かれていたりします。
(展示作品は、描き始めて4、5年くらいのもの)
モネの作品には、浮世絵の題材や構図から
インスピレーションを受けているものが多く、
葛飾北斎が連作作品を多く制作したように、
モネもまた多くの連作を制作したということから、
浮世絵から、影響を強く受けていた・・・
ということが分かります
睡蓮
クロード・モネ≪睡蓮≫1903年

モネが描いたイメージは、現代の私たちにとって、とても優しく馴染みやすいものですが、
モネが作品を発表した頃のヨーロッパでは、絵画の世界には階級制度があり、モネの絵は「印象を描いたにすぎない」
と酷評される時代でもあったのです。当時は、歴史的に意義の深い場面などを写実的に仕上げる絵画が尊重されていたため、
モネの作品は、近代的でもあり、また挑戦的でもあったのです

印象主義の先導者でもあったモネ。先導者であったがゆえの製作の苦労が偲ばれる言葉も残されています。

夜の間、私は自分が理解しようとしているものに絶えず悩まされる。毎朝、疲労を断ち切り、起き上がる。
夜明けの到来は私に勇気を与えてくれるが、アトリエに足を踏み入れるや、すぐに不安が蘇る・・・・・・。
絵を描くことはかくもむずかしく、苦しい。昨晩は、秋の落葉と一緒に6枚のキャンヴァスを燃やした。


モネは、「光の画家」と呼ばれており、捉えどころのない特性を持つ”光”を表現することを、一生涯模索し続けました。
彼は、「連作」という形で、風景などの同じ主題を、異なる光のもとで何十回も描き続けたのです

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次に、同じくモネの≪黄昏、ヴェネツィア≫という
色彩の美しい作品 → → →

1908年、68歳だったモネは、知人の誘いで
妻アリスとともにヴェネツィアを訪れました。
この旅行は、健康状態と視力の減退に悩まされていた当時のモネにとって、静養が目的でした。

が、多くの画家たちを魅了してきたヴェネツィアの
美しさに魅了され、ホテルに長期滞在して
約3ヶ月間制作に没頭することに・・・。
1912年には、ヴェネツィア作品だけの展覧会を開き、大成功をおさめます
黄昏・ヴェネツィア
クロード・モネ≪黄昏、ヴェネツィア≫1908年

夕日に染まる海に浮かんでいるのはサン・マルコ運河に浮かぶサン・ジョルジョ・マジョーレ教会。
運河が輝き、中世の建物を照らす光に、モネは心を掻き立てられ、それはモネが書いた手紙にも残されています。

私はますますヴェネツィアに夢中になっていきます…この独特の光と別れなければならない時が近づくにつれ、
悲しさがつのります。ほんとうに美しいのです

-ギュスターヴ・ジェフロワ宛の手紙(1908年12月7日付)

モネは、美しい光景を見て、もしかしたら生きる気力、創作の情熱といったものを取り戻したのかもしれない・・・と、
私は勝手に想像しています

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次は、ルノワールの印象主義時代を代表する作品の一つである≪すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢≫→ → →
ミュージアムショップでのポストカードの中で、
一番、人気なのだそうです

この愛らしい女の子は、当時、老舗出版社のオーナーで、
社交界でも注目を浴びていたジョルジュ・シャルパンティエの
愛娘(4歳)。

当時30代半ばだったルノワールは、売れない絵描きでしたが、
シャルパンティエ夫人から、娘の肖像画を依頼されます。
当時、夫人のサロンは、ブルジョアの知的で優雅な社交場として知られていました。夫人は、この作品を非常に気に入り、
以後、上流サロンに出入りするようになったルノワールには
有力者からの注文が相次ぐようになるのです。

女の子の可愛いドレス、赤い珊瑚のネックレス、
重厚な絨毯や椅子などから、当時の裕福層の生活が窺えます。
このような裕福なパトロンに恵まれたことは、
ルノワールの人生に於いて大きかったことだと思います
すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢
ピエール=オーギュスト・ルノワール
≪すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢≫1876年

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次は、ギュスターヴ・カイユボットの
≪ピアノを弾く若い男≫→ → →
2011年に、ブリジストン美術館が購入。
カイユボットの絵は、日本にはそれまで
他美術館に1点が所蔵されるのみだったので、
大ニュースにもなったのだとか。

裕福な繊維業者の子息であった彼は、
画家であると同時に、友人の印象派の
画家たち(モネ、ルノワール、ドガ等)の
作品を買って生活を支えたパトロンと
しても知られています。この絵のモデルは、
仲の良かった弟マルシャルで、
パリ中心部の豪華な自宅の中を描いたもの。
ピアノは当時最新式だったエラール社製。
近代都市パリに生きたブルジョワジーの
生活が伺えますね
ピアノを弾く若い男
ギュスターヴ・カイユボット≪ピアノを弾く若い男≫1876年

カイユボットがフランス政府に遺贈したコレクションは、現在は、オルセー美術館の核になっているのだとか。
しかし、遺贈リストの中に自身の作品をあまり含めなかったので、所蔵されている彼自身の絵はわずか数点。
その理由として、裕福だったので絵を売る必要が無かったことがあるようです
彼の死後も、裕福であった遺族が個人蔵として所有し、世に出回ることもなかったので、
それがまた彼の評価を遅らせることにもなってしまいました。
印象派を支えた擁護者として有名なカイユボットですが、
近年では画家としての活動に関心が集まり、作品の再評価が急速に進んでいます
≪ピアノを弾く若い男≫は、彼が初めて参加した、印象派展出品作であるのもこの作品をますます重要な物にしています。

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次は、ロートレックの ≪サーカスの舞台裏≫→ →
モノトーン調の絵ですが、油彩画で、
ロートレックが23歳の頃の作品だそうです。
画家になることを父親から反対されていたため、
当初、この絵に、自分の名前を逆さ読みにした
「トレクロー Treclau」と表記していたのだとか。
でも、展覧会への出品を前に、彼は署名を本名の
「ロートレックLautrec」に書き換えたそうです。
この絵はロートレックが父親の反対を押し切り
画家としての一歩を踏み出した記念的作品・・・
ともいえるかもしれません。
この作品に描かれているのは、サーカスの舞台裏。
華やかな表舞台とは対照的な薄暗い舞台裏が
モノトーンの画面で表現されています
サーカスの舞台裏
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック≪サーカスの舞台裏≫1887年頃

貴族の家に生まれた彼は、子供の頃に繰り返し事故に遭い、両足を骨折しました。
それにより下半身の成長がストップしてしまった姿は、大人になっても子どものようだったとか・・・。
ロートレックは、自由奔放な生き方をした芸術家の典型で、パリのカフェや娼館などに入り浸り、
歓楽の世界に生きる人々の華やかな姿や悲哀を描き続けました。
娼婦や酔っ払いの姿を、何らかの感情や批判などが入ることなく、ありのままを表現しました。
それは、ロートレックが彼らを愛し、理解し、一体となっていたからだとも言われています

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次は、パブロ・ピカソの≪腕を組んで座るサルタンバンク≫→ →
ピカソは、技法と様式の独創性を幅広く展開していった人ですが、
一時期、「新古典主義の時代」という写実的で彫刻的な絵画を
描いていた時代があります。
≪腕を組んで座るサルタンバンク≫は、その代表作です。

サルタンバンクとは最下層の芸人のこと。
定住して演技場に出ることはなく、縁日などを渡り歩き、
即興の芸を見せます。
ピカソは当時、道化師たちや芸人たちとも親しかったようで
そんな彼らを多く描いています。
この作品は、そういう社会に生きる人たちへの
ピカソの共感から生み出されたというよりも
自分自身を、道化師たちや芸人に重ね合わせて
描いたのかもしれません。

画面左上に女性像が塗り潰された痕跡がありますが、
それもこの絵に余韻を与えているかのよう・・・
科学的な調査によると(赤外線カメラ)
サルタンバンクに寄り添うように若い女性の姿が
描かれていたようです。恋人同士なのだろうか・・・
腕を組んで座るサルタンバンク
パブロ・ピカソ≪腕を組んで座るサルタンバンク≫1923年

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続いて、ピカソ≪女の顔≫→ → →
≪腕を組んで座るサルタンバンク≫と同様、古典主義時代の作品です。
ピカソは生涯の中で、何度も大きく画風を展開していった人ですが、
その画風と同じように、付き合う恋人も次から次へと変えたことで知られ、
彼女たちはときにピカソの絵画にも登場します。

≪女の顔≫のモデルは、
ピカソの最初の妻、オルガ・コクローヴァと云われています。
オルガは、ロシア将軍の娘で、貴族の血を引くバレエダンサーでした。
この絵は、妻オルガと南仏のアンティーヴ岬で過ごした時に描いた作品。
画面をよく見ると、表面がざらついているのですが、
アンティーヴの海水浴場の砂を、絵具に混ぜ合わせたのだとか
この時、ピカソはアメリカ人画家ジェラルド・マーフィーとその妻サラと
会います。この夫妻は、ピカソと家族ぐるみの親交があったようで、
サラの整った美貌にピカソは大いに心惹かれ、
この年に、彼女の肖像画を集中的に描いているのです。
なので、≪女の顔≫は、妻オルガではなくサラがモデルなのではないか・・・
という説もあります。
女の顔
パブロ・ピカソ≪女の顔≫1923年

ピカソは、陽気で精力的な人だったらしく、多くの女性と関係を持ったことで知られています
が、結果的にですが、必ずしも幸せだったとは云い難いようですね・・・
創作へのエネルギーが、そのまま女性への情熱ともなったのでしょうか?

オルガは、ピカソと結婚する時、夫の家に挨拶に出向きました。すると、姑になるピカソの母から次のように言われたのだとか。
 「どんな女性でも、私の息子パブロと一緒では幸せになれないよ」
さすがに母は、よく分かってた笑

ところで、そんなピカソ様が残した名言集というのがあって、これが結構イイのです笑 
(ご興味のある方は是非 ピカソ名言集

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そして、最後にギュスターブ・モロー≪化粧≫→ → →
ピカソ様を差し置いて、何故この絵を最後に持ってきたか・・・
それは、私がギュスターブ・モローの絵が大好きだからです

印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、
物語を通じて芸術や人間の生というテーマを表現する
「象徴主義」の先駆的画家ともいわれており、
聖書やギリシャ神話を題材に、幻想的な空想の世界を創り出しました。
(サロメ、一角獣、ケンタウロス、天使など・・・)
彼は、自分のことを「夢を集める職人」と表現していたのだとか

また、博学で、後年には国立美術学校の教授の任につきます。
教え子にはアンリ・マティスや、ジョルジュ・ルオーなどがおり、
(今回の展覧会に、マティスやルオーの絵も展示されてました!)
モローは、彼の様式とかけ離れた多くの画家達に影響を与えました。

モローは、スケッチや水彩画、油彩画などを製作しましたが、
私は、とりわけ彼の水彩画がすごく好きなんです!
宝石のように繊細で美しく・・・かつドラマティック
暗くて不吉な印象の絵が多いのですが、それがとても神秘的・・・
今回、展示されていた≪化粧≫も、水彩画でした。
モローの絵は一点だけの展示でしたが、
憧れの人と突然逢えたような気がして、本当に嬉しかったです
化粧
ギュスターブ・モロー≪化粧≫1885-90年頃

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BEST of the BEST展の記事は、まだまだ続きます・・・
記事が長くなってしまったので、一旦、半分ほどの内容をアップします
(長くなってスイマセン・・・伝えたいことを、最小限のセンテンスでまとめていくのは、何とムズカシイことでしょうか・・・)

展示コレクションの内容が、価値の素晴らしさはもとより、質や量ともにボリューミーすぎるので、
今回は、西洋コレクションから、割愛しまくって本当に一部だけをご紹介させて頂きました


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ホキ美術館 ホキ美術館名品展2014

前回に引き続き、ホキ美術館第二弾めの記事です
今回は、「ホキ美術館名品展2014」と常設展についての
内容となります。
・・・が、前回、ご紹介させて頂いた野田弘志さんの
風景画もまた素晴らしかったので、冒頭からアップさせて頂きました。
≪崇高なるもの≫シリーズの人物画が凄かったですが、
風景画も凄いですよね・・・ → → →
紅葉した鮮やかな山肌、その下を流れる清流が
本当に深くて美しいと思いました
音さえも聞こえないような 静寂な景色。
クッキリして絵葉書みたいに見えるのが、逆にリアルです。
大きな生命に包まれてるような感じを受けますね

ホキ美術館では、開館以来、野田弘志さんを初めとする、
現役作家の写実絵画を収集、展示されているのだとか。
画家同志が常に切磋琢磨し合うことで、コレクションの内容も
厳選されたものになっていっているそうです。
写実絵画界を代表する方々が、こぞって作品を発信し続ける上に、
ホキ美術館のための描きおろし作品等も展示されている訳ですから、
それが観賞できるホキ美術館て、とても贅沢なところですよね
梓川
野田弘志 ≪天谿・梓川≫ 2002年


そして、「ホキ美術館名品展2014」から。
(たくさん素晴らしい作品が展示されていて、全ての作品画像をアップさせて頂きたかったのですが、あまりに量が多くて笑)
その中から、私が特に魅了されてしまった絵をご紹介させて頂きます
まずは、大畑稔浩(おおはた としひろ)さんの作品です。凪いだ海や港の風景が穏やかで、でもどこか物哀しさも感じます
郷愁にかられて、見てると泣きたくなりました 「陸に上がった船」の絵は、砂の部分に本物の砂を使われていました!
瀬戸内海風景 川尻港
大畑稔浩≪瀬戸内海風景-川尻港≫2003年
陸に上がった船
大畑稔浩 ≪陸に上がった船≫2010年
有明海
大畑稔浩 ≪有明海≫2009年


生島 浩(いくしま ひろし)さんの作品「5:55」は、美術館の売店にあるポストカードの中で、一番人気があるのだとか
初めに観た時に、美しいモデルさんの微妙な表情と、振り子時計が5時55分を指していることから、
イラっとしながら、旦那さんか恋人の帰りを待ってるのかな~と思ったのですが、真相は違いました笑
生島浩さんが、この女性に何度も頼み込んでモデルになってもらったところ、彼女が提示してきた条件というのが、
「夕方6時まで」ということだったそう。了解した生島さんは、時間制約のある中で必死で描かれたのだそうです!
彼女も本職のモデルさんではないため、画家の注文に応じることが大変だったらしく、
6時前になると、その苦労から解放される安堵から、気がゆるみ力の抜けた表情を垣間見せていたのだとか。
その時の自然な表情を描かれたことから、タイトルを「5:55」と名づけられたのだそうです
その後、この女性は、生島さんからモデルのお願いを申し出されても、二度と引き受けることはなかったのだとか
そういう裏話を聞いて絵を観てみると、画家とモデルさんの関係というか温度差が何となく伝わってくるというか汗。
モデルさんの周りに置かれたクラシックなモチーフと、現代的な表情の彼女が妙にミスマッチングというか・・・
アンバランスなところに、温度差のズレを感じて、ジワジワと面白いと思ってしまいました笑
5、55
生島 浩 ≪5:55≫ 2010年
まどろみ醒める午後
大矢 英雄 ≪まどろみ醒める午後≫ 2010年
飛行計画 南風の囁き
五味 文彦 ≪飛行計画ー南風の囁き≫ 2013年


そして、原 雅幸さんの風景画が、とても美しかったです原さんは、スコットランドのエディンバラにお住まいだそうで、
英国の風景を、写真と見紛うほどの細密描写でお描きになられている作家さんです。
「クリストファーロビンの聲」(←多分、「こえ」と読むのだと思う)という、深い森の中に迷い込んだような絵が素敵です
クリストファーロビンは、くまのプ―さんに登場する少年なのだそうで、くまのプーさんに登場する「魔法の森」の世界を
描かれているのではないか、ということです。でも、確かに魔法をかけられているかのように神秘的ですよね

                クリストファーロビンの聲
原 雅幸 ≪クリストファーロビンの聲≫ 2008年
 


              ナローカナルのボート乗り場
原 雅幸 ≪ナローカナルのボート乗り場≫ 2007年
 


              木造船の港
原 雅幸 ≪木造船の港≫ 1993年
 


そして、常設展示の森本草介さんの美しい絵画の数々・・・ ホキ美術館創業者の保木将夫さんが、
写実絵画をコレクションするきっかけともなった作品が、森本草介さんの「横に なるポーズ」(1998年)なのだとか。
保木将夫さんは、初めて森本作品を観た時に強い感銘を受けられたのだそうです
当時、そんな森本作品の中に欲しかった作品があったらしいのですが、別の人が購入してしまったため、
製作途中だった「横になるポーズ」を購入されたのだとか。いわば、ホキ美術館コレクション第一号の作品ということですね。
この作品をきっかけに、森本作品を中心とした写実絵画の収集を始められることになったのだそうです

セピアトーンの女性が、女神のように神々しいですね まるで蜂蜜で描かれたような・・・(例えが何なんですが汗)
体は柔らかく女性ぽいのに、髪を上げた時のあどけないうなじが若さを感じさせます。
その他にも、静脈が透けるような薄い皮膚、細い二の腕、髪の毛の柔らかさ、すべらかな踵・・・
ところどころに若い女性の瑞々しさを感じました

ピアノやクラシック音楽がお好きな森本さんは、「美しい旋律が、画面全体に流れるように願い、描いています。」と仰っており、
セピアトーンの画面には、美しいピアノの旋律が流れているが如く、気品があり音楽的な雰囲気も感じます

              横になるポーズ
森本草介 ≪横になるポーズ≫ 1998年

                      
森本草介 ≪NUDE≫ 2012年

そして、森本草介さんはフランスの田舎の風景がとてもお好きだそうで、たびたび渡仏されては、
画家シスレーの故郷などを訪ね、風景を描き残されているのだとか

森本さんが子供の頃、故郷岩手で幼い弟や妹と共に、自然の中で遊んだ記憶・・・
「よく目をこらして見ると、森はただ黒いだけではありません。緑や黄色や青や赤など実に色彩豊かなんです」

そんな幼い頃からの感性が森本作品の根底にあり、ヨーロッパの風景画にも様々な色が配合されて描かれています。
写実絵画ではあるけども、森本草介さんの絵画は全体がセピアトーン(懐古の色)であることから
美しいもの、いつかは消え去っていくものを「思い出」としてセピアトーンの中に留められているかのような、そんな気もします

              ロットの川面
森本草介 ≪ロットの川面≫ 2001年

「 『生きる喜び』 『生きていてよかった』 と思える絵を描きたいと常に思っています」
と仰る言葉の先には、生への賛歌や穏やかで安らかな平和を願う想いが込められているそうですよ・・・

              牡丹
森本草介 ≪牡丹≫ 1997年

ホキ美術館では、巨匠から若手まで約50作家350点の写実絵画を所蔵しておられるのだとか。
森本草介さんの作品は33点ほど所蔵されており、これだけの森本作品を一度に観れる場所は他にないそうです。
保木将夫さんの森本作品への強い思い入れを感じますね・・・

しかし、ホキ美術館は、単にコレクションを公開するための美術館なのではなく、
ベテランの作家さんには、観賞用ではなく描きたいものを描いて、実力を思う存分発信できる場所であり、
若手の作家さんを育成していく取り組み、作品を発表できる機会を提供するなど、
作家の方々とコミュニケーションをとりながら、共に伸びていかんとされている行動的な姿勢が感じられて、
そこが素晴らしいところだと思います

ホキ美術館に展示されている作品は、「物の存在感を描きだす写実絵画」を念頭におかれているのだとか。
写実といっても、作家によって様々な解釈があり、
「主観や情感を全て捨てて、対象の本質のみを描いていく」ものであったり、
「対象を再現、模倣することではなく、その対象のずっと奥にあるものと出合うこと」であったりと、
ひとくくりにはできない世界のようです。作家により技法も考え方も違い、そうした多彩な写実作品を見比べることができるのも
ホキ美術館の魅力かもしれませんね

私は、今後も何度も足を運んでみようと思います 今回は、時間がなくてイタリアンレストランはもとより、
ミュージアムカフェにも立ち寄れず、ちょっと残念でした カフェでは、「千葉の小皿」という、千葉県産落花生の盛り合わせ3種が楽しめるプチメニューなども置いてあるそうで、次回はぜひワインと一緒に頂いてみようと思います 


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ホキ美術館 野田弘志展

千葉市内にあるホキ美術館に行ってきました
ホキ美術館は、世界でも稀な写実絵画専門美術館です。
医療用品などのニッチ・トップメーカー
「株式会社ホギメディカル」の創業者、保木将夫さんが
年月をかけて収集してこられた写実絵画作品を、
公開するために作られた個人美術館だということです。
「昭和の森」という大きな公園に隣接していて、
緑が多く気持ちいい場所に美術館はありました
建物の外観は、個性的でちょっと無機質な印象・・・。でも、
周りは住宅地なのにも関わらず不思議に調和しています。
2011年には、「日本建築大賞」を受賞されたのだそうですよ。
ホキ美術館1

ホキ美術館2ホキ美術館3

開催されていたのは、
「野田弘志展」と、「ホキ美術館名品展2014」です
まず、「野田弘志展」は、日本の写実絵画界を代表する作家、 野田弘志さんの54年に及ぶ画業を、珠玉のお作品によって、
追っていくことのできる企画展です。
野田弘志さんといえば、広島では特に有名な画家の方なので、
お名前だけは存じ上げていました。
しかし、これまでお作品を観たことがなかったので汗、
たまたま絵の教室の先生から、ホキ美術館のことを聞き、
スッ飛んで行って参りました
右のパンフレットの女性、写真・・・に見えますが、
実は野田さんのお描きになられた絵画なのです
ちなみにこの女性は、ピアニストの岩崎淑(しゅく)さん → →
下画像は、左画像がホキ美術館創設者の保木将夫さん。
右画像が、 詩人の谷川俊太郎さん。
これらは、野田弘志さんが、現在手掛けられている
≪崇高なるもの≫シリーズの新作なのだとか
人間をテーマに縦2m横1.5mのキャンバスに(大きいです!)
等身大以上の人間が、空間ごと立っている姿が
描かれてるのですが、ものすごい存在感があります
”全精神をかけたリアリズム”という言葉通り、
限界まで人間に迫り、限界まで描かれてるのだと思いました。
技術的なことも凄いのですが、それよりももっと肉薄して、
力強い生の集積みたいなものを感じ、圧倒されました
野田弘志展パンフ
≪「崇高なるもの」OP.4≫2014年

人間とは何か。2人として同じ人間はいない。生まれて生きて、やがて死んでいく。
「こんな不思議な神秘なものはないですね。人間の存在くらいすごいものはない。
それを描くべきです。存在の深さを描くべきです」。
野田弘志が描く、血が通い、考え、生きている人物像。
(美術館HPの記事から抜粋)
野田弘志さん「崇高なるもの」OP2
≪「崇高なるもの」OP.2≫2012年
野田弘志さん「崇高なるもの」OP3
≪「崇高なるもの」OP.3≫2012年

「芸術で一番大切なのは精神、人間の魂だと思うのです。その結晶が芸術だと思いますし、
「死すべき人間、では何をすべきか」ということだと思うのです。人間として生まれて宿命を背負って
いやおうなしに死ななければいけないのですから、それを真剣に考えたところで、その上に出てくるものがリアリズムだと思う。
つまり哲学があってリアリズムがある。
スペインのロペスという同い年のリアリズムの絵描きが「哲学がない絵はリアリズムでない」と言っている。
リアリズムの一番の巨匠はレオナルド・ダ・ヴィンチですが、ダヴィンチもまた「絵画とは哲学的なことがらである」と言っている。
存在の本質の第一原理まで行き着くことのできる世界だと。そういったものを追求するのがリアリズムで、残された時間を、
全精神をつくして知り、視て、考えて、描きたい。それを実行するのみです」。
(美術館HPの記事から抜粋)


哲学がなければ芸術ではない。
全精神をつくして知ること。全精神をつくして見ること。全精神をつくして考えること。
全精神をつくして描くことを実行していきたい。
人は美しい。生まれて、生きて、消える。かけがえのない大事な時間、そのことこそが美です。
それを描きたい。純粋に本当に見つめることをする。邪魔なものは一切捨てる。余分なものはいらない。
単純化です。「単純は偉大なり」。それこそが「存在を描く」ということ。
(美術館HPの記事から抜粋)
そして、≪崇高なるもの≫と同時に手掛けられているのが、
生と死をテーマにした≪聖なるもの≫シリーズ
右画像は、2m×2mのキャンバスに(これも大きいです!)
庭の片隅でみつけた鳥の巣と卵を描いた作品。 → →
野田弘志さんは、現在、北海道南部の壮瞥(そうべつ)町に
お住まいで、 洞爺湖を見下ろせる緑豊かな森の片隅に、
アトリエを構えておられるのだとか
そして、新たにスタートさせた「存在の美学」の展覧会を、
隔年で行われているのだそうです。
写実絵画を「鑑賞絵画」から、「芸術」へと転換させてきた、
その大きな原動力となられた野田弘志さんは、今年で78歳。
更に、写実の可能性を切り開いていかんとされる姿勢、
一生涯かけて、自分の信念を追求し続けていくこと、
その姿勢こそが”芸術”というものなのかもしれない・・・と
私は思いました・・・
聖なるもの THEーlV
≪聖なるもの THE-IV≫2013年

そして、展示の中に、礒江毅(いそえつよし)さん(1954~2007)の作品3点を見つけた時は、胸が震えるくらい嬉しかった
礒江毅さんとは、スペイン・リアリズム絵画の鬼才とも呼ばれている方です。
19歳の時に単身で渡ったスペインの土地で、約30年に渡って写実絵画を探求し続けられ、
1989年には、35歳で「14人のリアリズムの巨匠」にも選出されるほど
スペインと日本を中心に国際的に高い評価を受けた画家の方なのです
以前、TV番組で初めて礒江毅さんの絵を見た時、
圧倒的な細密描写(だけでなく、それ以上に感じる何か)に、本当に感動したのでした
礒江毅さんは、広島にも縁のある方で、
広島市立大学芸術学部という、現在では写実絵画を教授する拠点となっている学校があるのですが、
1995年に、野田弘志さんが芸術学部の教授と
して迎えられ、2005年に退官された後、
同年に礒江毅さんが教授に就任され、
教鞭をとられていたのだとか。
今ちょうど、広島県立美術館
「礒江毅展 -広島への遺言ー」という展覧会が
開かれているのですが、時間の都合などで
行けれないのが非常に悔しいところです
でも、ホキ美術館で貴重な3点の作品が
観れてよかった・・・
横たわる男
≪横たわる男≫2001-2002年


≪ESPANTAPAJAROS≫1997年
地の音
≪地の音≫2000年

今回行ったホキ美術館の記事はまだまだ続きます・・・
ちょっと画像も多くて記事も長くなってしまいそうなので、一旦、半分ほどの内容をアップします。
次回、「ホキ美術館名品展2014」と、常設展(これがまた素晴らしい・・・!)についての記事をアップしたいと思います
なお、「野田弘志展」と、「ホキ美術館名品展2014」は、5月の17日までの開催となっています。
日数が少ないですけども汗、ご興味のある方はぜひ行かれてみてください
館内には、本格的なイタリア料理とワインを堪能できるイタリアンレストランや、軽食を楽しめるカフェもあります
あと、ホキ美術館バスツアーというのもあるようですね(出発は東京駅近辺)
美術館専属解説員さんによるミュージアムトークと、イタリアンのランチが組み込まれており、
一人からでも参加できるようなので、こういうツアーを利用されてみるのもいいかもしれません
(詳細は、美術館HPで・・・→ホキ美術館HP


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アート雑記16


訪問して頂いて有難うございます 
もうGWに入られた方、これからの方にとっても
楽しい連休となりますように・・・
いきなり絵のアップからでスイマセン。
手順など、写真撮るの思いきり忘れてました・・・
今回、まな板に描かせて頂いたのは、
ジャイアンツの坂本勇人(はやと)選手です

私が関東に引っ越してきて、何かと良くして頂いてるご夫婦がいまして。
お米など頂いたり、先日はアイロンまで持ってきて下さって
(というか、アイロン持ってなかった汗)
何かと、お世話になっているのです
ご夫婦には、野球好きな小学生のお子さんがいるのですが、
この男の子が大の巨人ファン
カープの話をしようものなら、かなり本気で対抗してきます笑
巨人選手の中では、特に坂本勇人選手のファンで、
一時期、坂本選手がやってたソフトモヒカン?みたいな髪型してました・・・
その子に、「坂本選手描いて~」と頼まれたので、
色鉛筆でまな板に描いてみました。かなり粗めのザクっと描きですが、
坂本選手の特徴って丸い鼻と笑顔かな?と思ったので、
その二つはちょっと意識して・・・
まな板アート 坂本勇人選手1

 描き終えたら、まな板の裏面に、今回新しく買ってみたブラックジェッソを塗っていきます。
これからキャンバスやパネルの作品などを製作したときに、裏面もきれいに塗ろうと思い、買っておいたものですが、
ちょうど、ジャイアンツカラー(黒×オレンジ)としてピッタリ! 板に塗ると炭みたいにマットな黒になりました
まな板アート 坂本勇人選手3まな板アート 坂本勇人選手4

まな板アート 坂本勇人選手5
表面と側面にも、オレンジのアクリル絵の具でラインをひいて
完成です~  → → →
でも、全体的にちょっと寂しい印象なので
ジャイアンツのロゴや、坂本選手の名前も入れようかと思ったのですが、
今回のまな板アートは営利目的では全くないとはいえ、
ちょっと避けた方が無難・・・と思い、やめておきました笑
こうして、web上でも公開してることですし・・・
あとは、相手の男の子にステッカーなり何なり貼ってもらうとか
自由に遊んでもらえたらいいなと思います
坂本勇人選手、足を負傷されてるとかで・・・
早くベストな状態で球場に戻ってこられるといいですね
カープは、現在最下位・・・ 頑張ってほしいです~~~
まな板アート 坂本勇人選手2


【追記】
今日3日に、人づてにですが絵を渡すことができました
後で、お母さんからLINEで、男の子がめっちゃ喜んでくれてる動画(しかも、パンツ一丁で!)が送られてきました笑
何はともあれ、喜んでもらえて良かったです

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慧喜

Author:慧喜
広島県出身 関東住みです。
アートに関すること
アーティスティックな世界に触れて
自分が感じたことを
アップしていきます。
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関わった全ての皆さんの
お役にたてますように 
(*≧∀≦*)

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