慧喜~Trip of the art

Rafael Rodríguez “Eremites” 隠者(ラファエル・ロドリゲス油彩画展)

吉祥寺にある「ギャラリーフェイストゥフェイス」さんに
お邪魔しました
フェイストゥフェイスさんは、初めて寄らせて頂いた
ギャラリーです。(また例によって唐突にフラっと)
吉祥寺駅からそんなに遠くない閑静な住宅街にありました。
周囲に溶け込みながらも、シックで洗練された外観。
開催されていたのは
「Rafael Rodríguez “Eremites” 隠者」
スペインの画家 ラファエル・ロドリゲスさんの油彩画展!
お邪魔した日が、ちょうど個展最終日だったので、
ラファエルさんご本人が、在廊されていました!
ギャラリーフェイストゥフェイス

中に入りますと、独特な印象の絵画が展示されていました・・・

ラファエル・ロドリゲス油彩画展 隠者1ラファエル・ロドリゲス油彩画展 隠者2

ギャラリー内に、ラファエルさんとフェイストゥフェイスのオーナー山本清氏がいらしたので、
山本氏に通訳をしてもらい、色々と質問させて頂きました。(山本氏の英語が流暢で、聞いていて耳に心地よかったです!)
ラファエル・ロドリゲスさんは、スペインのセビリア出身、28歳の方なのだそう
そして、何と今回が初来日の上に、日本での初個展なのだとか

Portrait of unknown man
≪Portrait of unknown man≫2014年
Study for two heads
≪Study for two heads≫2013年


展示されていた絵画は、全て油彩画。人物画ではあるけれど、目鼻立ちなど描かれていません。
油絵具で力強く塗り重ねられた痕跡からは、深い精神性のようなものを感じました
ラファエルさんの年齢などを初めに聞かなかったら、老成円熟した画家の描いた絵だと思っていたかもしれません

After the Labyrinth II
≪After the Labyrinth II≫2015年
After the Labyrinth III
≪After the Labyrinth III≫2015年


Small Saint
≪Small Saint≫2015年
未完成 タイトルなし


下画像のWoman’s head(After Murillo)シリーズは、ラファエルさんの説明によると、
スペインのバロック期の画家バルトロメ・エステバン・ベレス・ムリョーリョ
(自身の生まれ故郷であるセビリアの政治的、文化的に重要な画家であり、有名な偶像とされている)
に対する個人的葛藤から生まれたシリーズです。
ムリョーリョの有名な油彩である「Inmaculada」シリーズのなめらかな表面は、私にそれを破壊するよう駆り立て、
それがこのWoman’s head(After Murillo)シリーズの始まりであり、
私の内面世界の異なる見方の研究や私の文化的背景と影響を表しています。


(ムリョーリョの「Inmaculada」について詳しい記事はコチラ →→→ 明日ソロモンさんの「映画とドラマと語学」)

Woman’s head XIX
≪Woman’s head XIX≫2015年
Woman’s head VIII
≪Woman’s head VIII≫2013年


↑↓ラファエルさんは、ムリョーリョを初めとしたバロック絵画全体の芸術形式といったものに影響を受けているのだそう。
しかし、影響を受けているのはムリョーリョだけではなく、レンブラントやジャコメッティといった様々な芸術家の作品や、
また彼の好きな映画などからもインスパイアされているのだとか
そういったものプラス、ラファエルさんの中に流れている歴史や文化的背景、宗教的価値観といったものが
彼の作品の中に全て取り込まれているのだそうですよ

Woman’s head XVII
≪Woman’s head XVII≫2015年
Woman’s head VII
≪"Woman’s head VII≫2013年


この「Eremites」シリーズもとても印象的です

「Eremites」という言葉(英語ではhermit)、日本語だと「隠者」という意味で今回の個展タイトルにも使われています。
隠者とは、俗世間を離れ山にこもって神に仕える者(特にキリスト教における)ということで、ラファエルさんの説明によれば
Eremites(隠者)とは、真実に到達するために普通の生活を犠牲にし、孤独に暮らす人生を選ぶ、という
とても強い信仰の形です。それは暗く過激な信仰の見地であり、この過酷な境遇の中で変化と過程を通して
身体の形はとてもピュアな形に変化します。
私は、作品を通して、製作の過程(絵の具やドローイングの層、時間、身体の運動)を見せたいと思っています。
それはイメージを代弁する一部分であり、それは作品にも一層の広がりを与えています。


Eremite IV
≪Eremite IV≫2015年
Eremite III
≪Eremite III≫2013-2015年


ラファエルさんの説明の中の、隠者とは彼自身のことなのではないか・・・と思ったりしました
ラファエルさんの中に流れている歴史や文化的背景、宗教的価値観。
そういったものを背負い、現代社会の中で葛藤しながら、隠者のように隠された真実を求め見出していく、
修験道のごとく、行動し体験する中で、いわば悟りを開いていくといったような。
その手立てが、彼にとっては「描く」ということなのではないだろうか・・・と。(思いっきり個人的見解です汗)
“ピュアに変化する身体の形”というのは、そのまま彼の精神性の形といってもいいような気もしました

ラファエルさんの作品は一見暗くて退廃的な印象も受けますが、
何か、透明で崇高なものさえ感じるのはそういったところに理由があるのかもしれないです
画面に示された結果が、ラファエルさんの実力を表しており、素晴らしい表現力だと思いました


↓↓↓オーナーの山本氏が好きな作品に挙げておられた「Eremite II」
二人の人物が抱き合っているように見えます。いわば、人間の営みにおいてのワンシーンですが、
この絵からどういう感情が汲み取れるか、固く結びついた愛情かもしれないし、別離の抱擁かもしれない・・・
観る人の境涯や生活環境、想像力でもって、色んな広がりをもたらすことができます。

ラファエル・ロドリゲス油彩画展 隠者 Eremite2
≪Eremite II≫2014-2015年
ラファエル・ロドリゲス油彩画展 隠者Eremite1
≪Eremite I≫2014-2015年


ラファエルさんのお話を聞いて非常に興味深かったのは、
木枠に張られていないキャンバス布そのものに絵を描いて、後で木枠に貼り付けるのだとか。
それは、「木枠に制限されたくない」という、彼独特のスタイルによるところであるのだそう

そして、ラファエルさんの人物画には、具体的な目鼻立ちが描かれていません。
だからこそ、その表現には制限がなく、誰の肖像にもなりうる匿名性を持っているのだといえます


↓↓↓そして、帰り際にギャラリーで売られていた「アーティストブック」という本を買っちゃいました
ラファエルさんと、彼の友達とで描かれたドローイング(線描画)がたくさん載っている本です。

ラファエルさんの絵もあれば、その友達の絵もあるし、二人で共同で描いたものもあるそうなので、
どれが誰の絵なのか判別が難しいところなのですが、下画像の絵はラファエルさんのものであるようです
ラファエルさんの好きな芸術家(スペインの詩人のガルシア・ロルカ、画家レンブラントなど)へのオマージュとして
作られた本なのだとか  しっかりとサインもして頂きました~

アーティストブック1
アーティストブック3
アーティストブック2


そして、ラファエル・ロドリゲスさんご本人です ご本人に了解を頂いたので、最後に彼の経歴をご紹介させて頂きます

Rafael Rodríguez(ラファエル・ロドリゲス)
1987年 スペイン、セビリア生まれ
2011年 セビリア美術大学油絵学部卒業
2015年 アントワープ王立芸術アカデミー大学院
       版画コース終了(ベルギー)
現在はアントワープ在住。油絵、ドローイング、版画を製作。
ヨーロッパを中心に、日本、中国、アメリカなどで発表。
≪主な受賞歴≫
・グアンラン国際版画ビエンナーレ受賞(2013)
・アントワープ王立芸術アカデミー終了製作版画賞(2014)
(ラファエルさんに教えて頂いた、彼のサイト→コチラ
ラファエル・ロドリゲスさん


この日、ギャラリーにはひっきりなしにお客様が来廊されて、とてもお忙しかったと思うんですけど、
丁寧に対応して頂き、有り難かったです  私自身もいい経験になりました(もっと英語を勉強しなくては・・・汗)
ラファエル・ロドリゲスさん、フェイストゥフェイスのオーナー山本清さん、本当に有難うございました


 ← ← ← ポチって頂ければ、励みになります  宜しくお願い致します


web拍手 by FC2

鴨居玲展(3)

前回に引き続き、鴨居玲展についての記事です  (前記事の鴨居玲展(1)はコチラ、鴨居玲展(2)はコチラ

東京ステーションギャラリーで開催していた鴨居玲展、
東京での会期は終了しましたが、見応えがあり、
本当に行ってよかったと思える展覧会でした

東京ステーションギャラリーは、いわゆる「駅ナカ美術館」で、
東京駅丸の内駅舎内にあり、利便性のいい場所にあります
東京駅丸の内駅舎創建は大正3年ですが、
東京大空襲による被害跡を、5年半に及ぶ保存・復原工事を得て
2012年に、創建当時の姿になりオープン

建物の内部は、創建当時の煉瓦をできるだけ残されているのだとか。
駅舎同様、煉瓦も重要文化財の一つになっているのだそうです。
ギャラリー内の煉瓦で敷き詰められた、重厚で堅牢な空間は
鴨居玲さんの作品にぴったりだったと思います
鴨居玲展 ギャラリー内(借用画像)
展覧会を紹介している記事からお借りした
ギャラリー内の画像です。素敵ですよね


私にとって、今回の鴨居玲展で一番印象に残ったのは、玲さんの残したデッサン画でした
前記事の鴨居玲展(1)と鴨居玲展(2)で、玲さんの油彩画作品をたくさん紹介させて頂きましたが、
重みのある画面が実現された作品は、玲さんのデッサン力の確かさによって支えられていたと思うのです。
師である宮本三郎氏の教えに従い、生涯デッサンを怠ることなく、
「指にデッサンのタコが出来ていないのは画家ではない」というのが、玲さんの画家としての姿勢だったとか

デッサンの中でも、速写技法であるクロッキーを好まれていて、
どこにいても、常にスケッチ帳を持ち歩き、人間の顔や体をとことん繰り返し描くことで
自身が求める画面を作るために、力強く自然に描きだすことのできるイメージを体に植えつけようとしたのだとか。
滞在したフィレンツェでも、美術館のデッサン室に熱心に通い、パリでの裸婦デッサンも欠かさなかったそうです

玲さんのデッサンで特徴的なのは、時間と空間を凝視することによって、自身が心惹かれる魅惑的な瞬間、
玲さん曰く「ギュっと凝縮するような一点」を、思うがままに描いていくということ

子供の頃や学生の頃からモデルを使ってデッサンしながらも自然にある部分を強調していますね。モデルを離れて。
必ずしもドラマティックじゃなくて、ギュッと凝縮するような一点がないと、無意味に思えてきましてね。
だから、途中からモデルをよく離れます。どんどん離れて、自分で作り直していくようなところがあります。

と、玲さんは語っていたとか。

蛾
≪蛾≫1967年
月に叫ぶ
≪月に叫ぶ≫1973年


鴨居玲さんは、デッサンを描く時、徹底して「見る人」であったといいます。
それは、描く対象を見るだけにとどまらず、徹底して個である自分の内面とも対峙することでした。

たとえば浮浪者を描くとする。しかし、その浮浪者を写生したことは一度もない。またそんなことはできないし・・・・・・。
かたちを借りるだけで私の中でつくりあげた人間なんですよ。つまり、私の自画像のようなものですね。
だから、実在のモデルなんていやしない・・・・・・。
あのねえ、そう、何というのかなあ、どうにもならない時があるでしょう。
助けて欲しい時、よくありますね。自分の人生の中で・・・・・・。どうしようもない時がね。
そういう瞬間を浮浪者の姿を借りて描いている・・・・・・。


興味があるのは人間だけですからね。学校時代にも風景とか石膏デッサンは嫌いでした。
生きてる目的、人間という不可思議なもの、それが女性であってもいいですけどね。
とにかく人間が好きなんだな、私は。それから、いままで若い人を描かなかったのは皺がないんですよ、彼等には。
人生の何かが出てこないんだな、のっぺらぼうで。
老人の皺には彼等の何十年間か生きてきた、人間のいろんなものがあらわれている。

という玲さんの言葉が残されています。
(記事中の、玲さんの言葉は全て画集からの転載です)


踊り候え1
≪踊り候え≫1979年
踊り候え
≪踊り候え≫1974-75年


鴨居玲さんは、背が高く目鼻立ちの整った容姿に恵まれた人でしたが、
(実際に外国の街を歩くたびに、振り返る女性が多かったみたいです)
酔っ払いや浮浪者の姿に、自らを重ね合わせる自虐的な内証を持っていたように思います

玲さんにとって描くということは、社会から締め出される疎外感や孤独といったものを、
酔っ払いや浮浪者の姿を借りて描くことで、自身が「生きている証」を見出す作業だったのではないか・・・と思います
そして、疎外感や孤独といったものは、私達が社会や日常において常に対峙する感情でもあり、
玲さんの絵に、共感を覚えたり引きずり込まれそうになる人が多いのは、描かれた姿に自分を見るからではないだろうか?

そして、その人間の心の本質を掴みだした絵には、そこに裏打ちされる玲さんのデッサン力の確かさを見ることができます。
玲さんにとって、自分の求める世界を表現するために、自己凝視を磨き上げていく絶対的な方法こそがデッサンでした。
ひとつの作品を描くために、100枚のデッサンを自らに課していたといいます

自己研鑽を積み上げていくこと。
生涯をそこに賭けてきた思いが、デッサン画を通して観る方にも伝わってくるようです


酔って候 デッサン
≪酔って候≫1979年
裸婦
≪裸婦≫1978年


玲さんの残した言葉の中で、私が一番好きなのは、
自分の絵が鑑賞されるという事態を想像した事もありませんでしたし・・・・。
だから自分にとって興味のある瞬間の凝縮した表情にしか描かなかったんです。
」という言葉です。

玲さんの画業人生は、初めから自分の心の声のみに従って描いてきたものでした。
つまり、自分の感覚、自分にとって一番ふさわしい描き方というものに忠実であり、それらが全てだったのでしょう
デッサンにおいて色々な表現方法がある中、どんな様式にも玲さんは影響を受けることがなかったのです。

徹底的に、デッサンを通して人間の心の本質を追求、ひいては自己を追求していくことは、
玲さんにとって、当たり前のように自然であり、描きたいものの焦点だけを求めて描いてきた画業人生だったのです

それは、あらゆる絵画の様式や既存の美学から外れてることであったかもしれません。
しかし、己だけを信じ突き進んできた玲さんの絵は、年月を経ても、いまだに多くの人の心を掴みとっています。
私が、鴨居玲さんに憧れるものがあるとしたら、そういうところだと思います・・・


道化師1
≪道化師≫1979年
道化師2
≪道化師≫1984年


玲さんのデッサンを見ていると、一つ一つが「完全燃焼」しているように見えます
はたから見て未完成に見えるものでも、一番美しい状態で止まっているかのよう。

今回、玲さんの遺されたデッサン画を見て、正直私は自分のふがいなさに泣きたくなり、そして大いに反省しました・・・
忙しいから、時間がないから絵が描けないなんて、言い訳・・・・・・。本当に自分は甘いなと頭を打ちました。
そこで、毎日クロッキー&デッサンの練習をしようと、100均でスケッチブックを大量に購入・・・
先のことは分からないし、努力しても結果に結びつくとは限らない・・・かもだけど、
”今日”という日は、自分の人生の中で一度しかない、一日一歩でも前にいきたい、いや、半歩でもいいから進みたいのです


最後に、心に残った玲さんの言葉を・・・
私の性格として、いや全くの本能的なものとして、“飛ぶ前に見る”人をどうしても信ずる気になりません。
とかく飛ぶ前に見る人は、とても美しいすりかえの論理を使用する時がある故にです。
 しかし、“飛んでから見る”という人生。これはホンマのところしんどい事であります、実感です。
たぶんフルいと、若い方に言われるでしょうけれども、
私には、これしか、この方法でしか“生きようが無い”“生きる意味が無い”といった人生を、
少なくとも物を創ろうとする人間はえらぶべきでしょう。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


今回、鴨居玲展についての記事を作らせて頂くにあたって、色々と調べていく中、
茨城県笠間市にある笠間日動美術館という美術館の存在を知りました
東京・銀座にある日動画廊さんが、母体となっている美術館ということで、
画廊の創業者ご夫妻が、1972年(昭和47年)に故郷である笠間にて開館されたのだそうです

日動画廊の現在の経営者ご夫婦と玲さんは、公私共に長くお付き合いがあったのだとか
日動美術館では、鴨居玲没後30年を記念し、今月初めから常設展「鴨居玲の部屋」が始まったとかで
未完の自画像をはじめ、大作の構想を練るため使用したテーブルや、愛用の椅子などが展示されているそうです





↑ ↑ 東京ステーションギャラリーで展示されていた、玲さん遺品のパレットも日動美術館に所蔵されているものなのだとか。
色とりどりの油絵具が、山塊のように盛られた鮮やかなパレット・・・ 玲さんの苦悩の顔まで美しく見えてしまう・・・笑

日動美術館には、国内外の著名画家が愛用したパレットコレクションなるものが常設展示されてるのだそうです
日動画廊創業者の方が、親交を深めた画家たちに願い出て愛用のパレットを譲り受けたことに端を発しており、
以来、画家本人や遺族などから寄贈が続き、現在では340点を超え、美術史的にも貴重なコレクションとなっているのだとか。

笠間といえば、昨年のお正月に、三が日を明けて笠間稲荷神社にお参りに行ったことがありました
(関係ないけど、笠間稲荷の名物?「そば稲荷」が美味しかったです!甘いお揚げの中にお蕎麦が入ってるやつ・・・)
決して近くはないんだけど汗、遠出のドライブがてらに是非とも足を運んでみようと思います

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

鴨居玲展について、(1)(2)(3)と長々とした記事になってしまいました
この記事を通して、一人でも多くの方に鴨居玲さんのことを知って頂ければ・・・と思います
いつも訪問して下さる皆様、新規で訪問して下さった方々、最後まで読んで頂いて本当に有難うございますっ


東京ステーションギャラリーでの会期は、終了しましたが、
それ以降は、2015年12月まで、北海道立函館美術館石川県立美術館伊丹市立美術館を巡回予定とのことです


 ← ← ← ポチって頂ければ、励みになります  宜しくお願い致します


web拍手 by FC2

鴨居玲展(2)

前回に引き続き、鴨居玲展についての記事です
(前回記事はコチラ
東京ステーションギャラリーで開催中の鴨居玲展ですが、
本当に観にいってよかったと思いました
帰りには、ポストカードの他、画集も購入。
鴨居玲さんの記事を作るにあたって、
玲さんの芸術家としての人生を、とても私一人の力量で
伝えられるはずもなく、画集の力をお借りしようと
画集には、玲さんの写真がたくさんのってるのですが、
この写真を撮った方が、富山栄美子さんという女性写真家で、
玲さんが没するまでの14年間、生活を共にされたのだとか。
鴨居玲展 画集

栄美子さんは、玲さんから
これからは私だけを撮り続けてもらえないだろうか。
もし、私に才能がなくて認められずに死んでいったとしても一人の画家の一生、
もし、私が認められる作家になれば、それもまた一人の画家。
どちらになるにしても撮り続けてもらえるだろうか?

と請われたといいます

鴨居玲さん、アンビバレントな二面性が内在する方だったようで、
複雑な感情の中で、常に揺れて葛藤していたのだといいます。
陽気で人当たりがいい反面、人に気を遣いすぎて気疲れしてしまうような
デリケートな神経の持ち主であったとか。
ナルシストで見栄っ張り、ついええ格好しい発言をしてしまう自分に、後で恥じ、
茫然自失になるほど極度に落ち込んでしまう・・・
思ったままを口に出し、自分が気に食わなければ他者に激高する反面、
一人になると孤独感と悲壮感に苛まれる・・・
感情の起伏が激しく、荒れた時には手がつけられないこともあったようです

こんな芸術家と共に生きる難しさ、想像に難くない・・・
富山栄美子さんは、苦労することが分かっていても、写真家として一人の女性として、
追い求めていきたいものを鴨居玲さんの中に見出したのだろうか・・・
鴨居玲 アトリエにて1
    (撮影:富山栄美子)


フランス、ブラジル、イタリア、スペインと旅を繰り返し、人間の内部をさらけ出す表現を模索し続けてきた鴨居玲さん。
玲さんの終焉の地となった最後の神戸では、更に製作に苦しんだといいます。

スペインで、バルデペーニャスの人々と出会い、生の極限に生きる孤独で老醜した人々の中に、
自分の世界を築き上げていく根源を見出した玲さんですが、神戸がスペインと同じような環境であるはずもなく、
新たな課題を模索することができなかったのだとか。
同じような老人を描いても、これまでの作品の焼き直しとなり、玲さんの焦燥感は高まるばかりだったといいます

そんな苦悩の中、「1982年 私」という作品を生み出しました。
自身を凝視して描いた、これまでの画業の集大成ともいえるような自画像です。↓ ↓ ↓

        1982年 私
≪1982年 私≫1982年
       

真っ白いキャンバスの前に、放心してるかのように座ってるのは玲さん自身。その手に絵筆はありません。
周りには、それまで玲さんが描き続けてきた人物が、亡霊の如く、彷徨うようにひしめいています。
憔悴しきった玲さんの表情からは、「もうこれ以上描くものがない」という心からの叫びが聞こえてくるようです
実際、この作品が発表された翌年に、郷里金沢の石川県立美術館に収蔵された時、玲さんから画友にあてた書信に
「最後の作品と思って描いた、いつ死んでもいい」と記されているのだとか。



画業の行き詰まりから、精神的に追い詰められていった玲さんは、
ウイスキーと睡眠薬の服用で、心身ともに急速に蝕まれていきました。

そんな中で描いた作品「ミスターXの来た日」 → → →
ミスターXとは、玲さんにとって死神の喩えであり、
心臓発作を起こすたびに「ミスターXがきた!」と言っていたのだそう。
”ミスターXの来た”その日に、玲さんは心筋梗塞を起こしかけ、
医師に即入院との宣告を受けました。
が、翌月の個展の準備のために、入院生活に入る直前に
この作品を二時間で仕上げたのだとか。
迫ってくる死の恐怖に抗うようなタッチが凄いです

しかし、死神にとりつかれてる自分自身の姿を
キャンバスの上で、ドラマティックに演出したかのようにも見える・・・
といったら意地が悪いでしょうか?
アンビバレントな画家、鴨居玲さんにとって、
死は恐怖でもあり、同時に魅力的なモティーフだったのではないか・・・と思ったりしました
ミスターXの来た日 1982,2,17
≪ミスターXの来た日 1982,2,17≫1982年


心身ともに蝕まれながらも、最晩年には、消えゆく灯火が最期に大きく燃え上がるかのように自画像の傑作が生み出されました。
↓ ↓ 「酔って候」は、スペイン時代から、繰り返し描いてきた酔っ払い。酩酊し、老醜をさらした姿が描かれています。
「1982年 私」という作品を、自身の画業の墓石にしながらも、再度、お馴染みのモティーフで描いたということは、
玲さんにとって、確固たる自画像として在る主題だったのではないだろうか?

タイトルは、玲さんが敬愛していた司馬遼太郎さんの小説「酔って候」からとられたと云われています。
かつて、ブラジルで死に場所を求めていた玲さんのもとに、姉羊子さんから手紙が届き、
手紙には、玲さんの作品図版を見た司馬さんが、彼の才能と作品の魅力に衝撃を受けたことが記されていて、
それを読んだ玲さんは再起する力を得たのだとか。姉を通じて知り合った玲さんと司馬さんの親交は、深いものだったよう。
玲さんの方も、司馬さんの小説 「妖怪」 に引用された室町期の歌謡集 『閑吟集』 の一節、
「踊り候え」「夢候よ」を気に入って、作品のタイトルにもしています。

「出を待つ(道化師)」は、下塗りの鮮烈な赤が美しいです ↓ ↓
哀れで物哀しい道化師のイメージに、自己を投影させた自画像的な作品のように思います。
自らの再起に向かい、自身を鼓舞するかのような強い配色で、自画像の新たな展開をはかったとも云われています


≪酔って候≫1984年
酔って候
≪出を待つ(道化師)≫1984年
≪出を待つ(道化師)≫


↓ ↓ 「勲章」という作品。胸に4つの王冠をつけた玲さんの自画像が描かれています。
王冠は、実はビンの王冠で、勲章の象徴する栄誉や権威を皮肉っているのだとか・・・。
鴨居玲さんという方は、全く認められず終わっていった訳ではなく、多くの作品が栄誉ある賞を受けており、
公募展の選考委員も務めるなどして、特に後半生は「描けば売れる」というほど、世間的評価も高かったのだとか。
それでも、玲さんにとっては己の求める絵を描くことが何よりも大事で、その思いが込められた作品なのだそうです

しかし、「勲章」に描かれた玲さんの姿は、痛々しく悲鳴をあげているというか、空しさを感じているかのように見えます。
世間的な評価を得ていながらも、それを受ける玲さん自身が空っぽになってるかのような。
どんな賞も賞賛も届くことはない、空しい心のうちをさらけ出してるような絵だと思います

続く「肖像」という作品は、画家鴨居玲が探し続けた、自己を巡る旅の終点としての自画像といえるかもしれません。
鴨居玲という仮面をはずした姿からは、「もう描けない」という悲痛な思いが伝わってくるかのようです↓ ↓ ↓

≪勲章≫1985年
勲章
≪肖像≫1985年
肖像


そして、1985年9月7日、57歳の鴨居玲さんは自らの命を絶ちました。
奇しくも、玲さんが尊敬していた父親と同じ年齢で逝ってしまったのです。
車中での排ガスによる自死ということなのですが、泥酔した状態だったとか(つまり、ほぼ意識がなかった状態)
自殺行為は本気ではなく、狂言のつもりだったのが心臓が持たなかった・・・とか、色々な説があるようです

↓ ↓ ↓ 亡くなった直後に、アトリエに残されていた「自画像(絶筆)」という作品 ↓ ↓ ↓
「出を待つ(道化師)」と同じ衣装を着ていますが、顔に道化師の化粧が施されていません。あるいは、化粧を落とした後なのか。
道化という仮面を脱ぎ、舞台を降りようとする表現なのかもしれないし、
鴨居玲でいることに疲れ、人生を放棄しようとするということだったのかもしれません。


アトリエの一隅。1985年9月アトリエの一隅 1985年9月

≪自画像(絶筆)≫1985年自画像(絶筆)



帰国後の玲さんは、新境地を模索しながらも、自分の志と現実の自分とのギャップに苦しんでこられたように思います。
「もう何も描けない、描くことが無くなった」と、叫び続けるように描かれた最晩年の自画像たちからは、
自分を見失った、いわば自己喪失の状態にあった玲さんの姿が浮かんできそうです

何故、苦しかったのか。
まず、自己の暗闇を、芸術的表現にまで昇華させてくれるモティーフが見つからなかったことがあると思います。
そして、苦労して描いても「こんなものか」と訪れる憔悴と落胆の日々。ウイスキーと睡眠薬の併用による心身の消耗・・・。

そして、玲さんにとって「描く」ことが「生きる」ことであり、だからこそ画業には僅かな妥協も許すことができず、
真剣に向き合えば向き合うほど、受ける精神的代価が大きかったのではないだろうか・・・と思うのです
玲さんは、キャンバスを前にして、常に己の生き方そのものを問うていたのではないだろうか?


玲さんは、かつて某テレビ局のインタビューで「絵を描くとはどういうことか」と問われ、
大それた仕事です。苦痛そのもの
絵に限らず、芸術は見た人の人生を変える力を持つものでなければいけない。そのような絵を描きたい」と語ったといいます。
亡くなる年にも、同様のインタビューを受けて蕩々と語った翌日、
また、自分は偉そうなことを言ってしまった。本当は絵が売れ、名誉やお金がほしい、
広い家に住めればいいと思っているのに、そうしたことは言えない・・・

と、極度に落ち込み、茫然自失の姿をさらしていたのだとか。

自分を取り繕うかのように見栄を張り、そんな自分を許せず恥じていた玲さん。
純粋で自己に正直であったために、常に精神が疲弊し、不安定な状態でいたことかと思います。
しかし、画家鴨居玲としては、不安定な場所にいることが最も自分らしいことだったかもしれず、
そこに、玲さんの苦悩があったのではないか・・・と、私は思います


玲さんは、高橋和巳(作家)の本の一節を大切にしていたといいます。

どんなに意地をはっても、人はたった独りでは生きてゆけない。
だが人の夢や志は、誰にも身替りしてもらうわけにはいかない。
他者とともに営む生活と孤立無援の思惟との交差の仕方、定め方、
それが思想というものの原点である。
さて歩まねばならぬ。


人と共存していく上で、目指す芸術世界のために
どのように他者と関わり、また自己を貫いていくか。
他者と高い地点で、深い関わりを求めていた玲さんにとって、
初めて心を開くことができ、自分を解放できた場所、
そして、自分の芸術世界を築く根源を掴んだ場所が
かつて滞在したスペイン・バルデペーニャスの村でした。
そこで、出会った社会の底辺に生きる孤独な人たちの姿に
自分を重ね、人間の弱さ、孤独といった暗闇を描き出しました。
鴨居玲 おばあさんと一緒に
   おばあさんと一緒に  撮影:富山栄美子

それは、同時に自分の心の暗闇を見据えることでもあり、逆説的に生きていることの力強さを表現し得た作品に辿りつき、
玲さんは、自らの作品を崇高なものへと昇華させることができたのです

人間として、画家としても得ることが多かったバルデペーニャス。人生で最良の日々を過ごした場所。
帰国してから自死するに至るまでは、そのスペイン時代のピークに達することができずにいた、苦しかった画境が偲ばれます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

鴨居玲展の記事は、まだ続きます
今回の第二弾目の記事もかなり長くなってしまいましたので、ここでアップさせて頂きます  長くなってごめんなさい
最後まで目を通して頂いて、本当に有難うございます

なお、東京ステーションギャラリーでの開催は、7月20日(祝)までとなっています(もうちょいで終わります・・・汗)
それ以降は、2015年12月まで、北海道立函館美術館石川県立美術館伊丹市立美術館を巡回予定とのことです


 ← ← ← ポチって頂ければ、励みになります  宜しくお願い致します


web拍手 by FC2

鴨居玲展(1)

東京ステーションギャラリーに行ってきました
開催されていたのは、没後30年を迎える洋画家、鴨居玲さんの
東京では25年ぶりとなる回顧展です

金沢出身の鴨居玲さん(1928-1985)の57年の生涯で、
心身を削るように描いた油彩画の代表作をはじめ、素描、遺品など
約100点を一堂に展示。
人間の弱さ、醜さ、生きる苦しさといった部分をさらけ出すように描き、
生の痕跡を遺した鴨居玲さんの芸術世界に、強烈に惹きつけられました。

東京ステーションギャラリー
鴨居玲展 パンフ

著名な新聞記者を父親にもち、姉は下着デザイナーとして活躍した鴨居羊子さん。一番上の兄は、レイテ沖で戦死。
三人兄弟の末っ子で、母親ゆずりのエキゾチックな美貌を持つ玲さんを、母親は溺愛していたのだとか

幼い頃から、父親の転勤に伴いソウルや大阪へと転居を繰り返していましたが、終戦後、故郷の金沢へと戻りました。
戦禍を受けなかった金沢は、終戦直後から美術文化運動が盛り上がっていました。
戦後、目標が見つからずにいた玲さんを、父親は親しくしていた洋画家の宮本三郎氏に引き合わせたところ、
宮本氏は、玲さんの素描を見て気に入り、以後宮本氏のもとに出入りすることを得ます。
そして、金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)に入学。同校の講師宮本三郎氏に本格的に師事するようになります。

しかし、在学中に父親が他界。その半年前には、南方に出征したまま兄の戦死通知がもたらされていました。
戦争と父と兄の死、父親の死後の周囲の手のひらを返すような態度と仕打ち・・・それらは、玲さんの心に死の影を落としました。
この金沢で過ごした時間が、画家鴨居玲の形成に大きく関わっていると云われています

金沢美専を卒業後は、展覧会で受賞を重ねるなど
一定の評価を得ていたものの、
自分の納得のいく製作ができずにいました。
結婚もし、妻とパリでの生活を送りますが、
彼の求めるものはパリ画壇になく、焦燥の日々だったとか
そして、製作に苦しんでいた37歳の時に、
現状を打開するため、南米をめぐる長期の旅にでます。
この旅をきっかけに、自身のスタイルを掴み始めた玲さんの製作は、劇的に蘇っていきます。
そして帰国後、1969年、出品した「静止した刻」が
第12回安井賞を受賞。→ → →
この作品を以って、鴨居玲さんは、
41歳にして画壇に本格デビューします
静止した刻
≪静止した刻≫1968年


しかし、受賞したことによる周囲からの妬み嫉みに嫌気がさし、
1971年、単身でスペインに渡りました。
最初の半年はマドリードにアトリエを構え、
後にラ・マンチャ地方の小都市バルデペーニャスに居を移し、
創作の絶頂期を迎えます。
素朴で明るく人懐っこい地元の人々と交流を深め、
彼は、この地を親しみを込めて「私の村」と呼んでいたようです。
それまで外国を放浪しても、孤独な異邦人だった彼にとって、
人生最良の日々を過ごした場所なのだそう

そのバルデペーニャスで、彼は生涯のモティーフを見出しました。
一日中酒を飲んでいる酔っ払いや、顔に深く皺が刻まれた老人、
戦争で手足を失った傷痍軍人など、社会の底辺にいる彼らを
モティーフにした代表作を次々と生み出したのです
アトリエに大きな鏡を置き、写った自分の姿を
バルデペーニャスの人々の姿に重ね合わせ、
人間の心の弱さや暗さ、心の暗闇や孤独、
すなわち、自分の内面、自画像を描き出したのです。↓ ↓ ↓
鴨居玲 ナザレで
鴨居玲-ナザレで(撮影:富山 栄美子)

私の村の酔っぱらい(A)
≪私の村の酔っぱらい(A)≫1973年
おばあさん(B)
≪おばあさん(B)≫1973年


廃兵
≪廃兵≫1973年
蝿
≪蝿≫1974年


この、「おっかさん」という作品が、面白いです。
酔っ払いの男が、年老いた母親に
襟をつかまれ、叱咤されています。
いい年をして、母親に叱られる息子・・・
といった様子です
三人兄弟の末っ子だった鴨居玲さんを、
母親は溺愛していたといいます。
母親の前では、 甘えん坊だったという玲さん。
そんな親子の関係を彷彿とさせるようです。
そして、ものすごいデッサン力だと思いました。
顔なんて塗りつぶしてるような感じで、
面影くらいしか見えないのに、
この二人の関係が瞬時にして理解できます。
おっかさんが、ちゃんとおっかさんに見えるし、
へこんでる息子の表情が豊かなこと・・・!
デッサンが凄いのか、思い入れが強いのか・・・
多分、どっちも
おっかさん
≪おっかさん≫1973年

このバルデペーニャスの土地で、
玲さんは、最愛の母親の訃報を受けました。
この絵は、その時の悲しみを表した絵なのだとか。→ → →
玲さんのお母さんに対する思いが、感情の起伏そのままに
線となって表れていて、玲さんの悲しみが伝わってきます。

↓ ↓ ↓下画像は、鉄のアイロンに描いたおっかさん・・・。
胸がぎゅっと苦しくなるような絵です

おっかさん アイロン
おっかさん 1977年頃
≪おっかさん≫1977年頃


バルデペーニャスでの生活は、長く続きませんでした。
外国で異邦人だった玲さんが、初めて心を開き打ち解けることのできた
バルデペーニャスの人々との交流は、穏やかで満ち足りたものでした。
それは、一人の旅人としては掛け替えのない時間だったけれども、
画家の彼にとって、製作に駆り立てる意欲を喪失させていくものでした。
親密な人間関係にも、息苦しさを感じていたのだとか・・・

後に、鴨居玲さんは雑誌の対談で、こう語っています。
「周りが落ち着いてくると、だんだんイライラしてくる。
退屈なんじゃないでしょうか(笑)描くという気持ちがなくなってくるんです。
どういう形にせよ、ある傷とかショックがなければ
本当の芸術というのは要らないんじゃないかなと思う。」

生の極限に生きる、孤独で老醜した人々の中に、
自分の世界を築き上げていく根源を見出した鴨居玲さん。
穏やかで親密な人間関係のもとでは、
自己の葛藤や自分の生を刻みつけることが
できなかったのかもしれません

多くの代表作を生み、充実したバルデペーニャスの生活は、
わずか10ヶ月で終わりを告げました。
その後、スペイン国内を転々とし、1974年、パリに移り住みました。
鴨居玲 アトリエにて
鴨居玲-アトリエにて(撮影:富山 栄美子)


パリ時代の作品は、スペイン時代の暗くてずしりと重い作品から和らいで、色彩が豊かになっていきます。
この「蛾」という作品も、目の前を飛ぶ蛾に驚いてるような老人が描かれていて、何とも物哀しい切なさが感じられます
しかし、淡く柔らかい色調によって、詩的な雰囲気が出ていると思います。

また、人物画中心の作品に、「教会」という風景画の新たなモティーフが加わったのも、パリ時代の頃なのだとか 
重々しい教会は、空中に浮かび上がり、地面に十字架の形をした影を落としており、頂上には小さな十字架も見えます。
後に、鴨居玲さんは
「スペインの田舎へ行っている時、一番強く感じたのは
『何故、自分は神を持っていないのか』ということでした」 と語っています。
敬虔なキリスト教徒の多いスペインに滞在した彼にとって、教会や神の存在は心を大きく占めるものだったようです。
しかし、玲さんの描く教会は、どの作品も厚い壁に閉ざされていて、入る人を拒絶しているかのよう・・・。
ついに信仰は持てなかった玲さんにとっては、穏やかに安らぐ教会は入ることができなかった場所なのかもしれません

蛾
≪蛾≫1976年
教会
≪教会≫1976年


パリに滞在していた二年と数ヶ月の間、日本各地とパリ、ニューヨークでも個展が開催され、
一見、画業は順調のように見えたのですが、鴨居玲さんの心の中は満たされず、1977年に帰国、神戸にアトリエを構えます。
神戸は、かつて「静止した刻」が安井賞受賞し、画壇デビューを飾らしめた地でありました

「静止した刻」を生み出す前から、フランス、ブラジル、イタリア、スペインと旅を繰り返し、
人間の内部をさらけ出す表現を模索し続けてきた鴨居玲さん。
神戸では、製作に苦しみながらも、自己を巡る旅の終点ともいえる、数々の自画像の傑作が生み出されました。
しかし、それは、死による決着にひた走るラスト・ランでもあったのです・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まだ途中なのですが、一旦、記事をアップさせて頂きます
長くなりそうだからというよりも(実際、長くなると思うんですけど・・・汗)
鴨居玲さんという芸術家について、私自身がまだ消化しきれていないために、記事作りが思うように進んでいかないのです

芸術家としてしか生きれなかった人のように思え、その破滅型の人生は、調べていくほど気持ちが苦しくなっていくものであり、
私ごときが、とても鴨居玲さんの画業をお伝えできるものではないのですが、それでも展覧会で観て感動したことが
たくさんあり、その一部分でもお伝えできれば・・・と思います

なお、東京ステーションギャラリーでの開催は、7月20日(祝)までとなっています
それ以降は、2015年12月まで、北海道立函館美術館石川県立美術館伊丹市立美術館を巡回予定とのことです


 ← ← ← ポチって頂ければ、励みになります  宜しくお願い致します


web拍手 by FC2

浅草 屋形船

浅草に遊びに行ってきました
浅草が好きで、ちょこちょこ来てるんですけど、
まともに浅草寺をお参りしたのは、今回が初めてです
日曜日とはいえ、朝から雨が降っているのに、
浅草は、いつも人が多いです・・・!
でも、この賑わいが大好きで、歩いてるだけでも楽しい
お参りした後、浅草寺本堂外陣の天井を見上げると、
迫力ある大天井画が目に飛び込んできました。
鮮やかな天女像の画を左右に、
真ん中には、迫力ある龍画
浅草2

天女像は、堂本印象(どうもといんしょう) 画「天人之図」      龍画は、川端龍子(かわばたりゅうし) 画「龍之図」
どちらも、江戸時代末期から明治初期にかけての著名な画家で、昭和31年に描かれたものなのだとか。
浅草4
浅草3

お参りした後に、常香炉に線香をくべて、煙も浴びてきました。
でも、本来は、仏様の御前に出向くために身体を浄める,
ということで、参拝前に浴びるのが正しいのだそうです・・・
順序が逆になってしまいました

というか、そもそも自分の体の悪いところに煙をあてがう・・・
といった、ご利益的なものだと思ってたのですが、違うみたい。
しかも、香炉の中が熱すぎて、線香をたてることができず、
思わず放り込んでしまいました
浅草5

浅草6
浅草7

お参りした後、一杯飲みたくて立ち寄ったのは、
浅草寺近くの商店街にある、居酒屋「どん」さん→ →
ここの美人女将さんが、チャキチャキで面白くて
終始笑いっぱなしの楽しい時間が過ごせました。
女将さんオリジナルのメニューも多く、美味しかったです

通りでは、劇団の役者さんたちが歩きながら宣伝してたので、
一緒に写真をパチリ ↓ ↓ ↓
浅草10

浅草9
浅草8

そして、今回の浅草観光のメイン「屋形船」
隅田川を渡る屋形船に乗るのは初めての経験で、楽しみ!
色んな会社の屋形船があるみたいなのですが、
今回お世話になったのは、「あみ清」さんというところです。
船に乗り込むと、すでに宴席の準備が整えられてて、
朝からすでに飲んでるのですが、その雰囲気だけで、
また飲みたくなり、テンションが上がります・・・
屋形船3

屋形船2屋形船4

お料理は、お刺身の盛り合わせや、
握り寿司、そして天ぷら食べ放題などなど
天ぷらは、船の中で揚げてくれて、
揚げたて熱々のものをその都度、持ってきてくれます
衣がゴツかったけど、アナゴとハゼの天ぷらが美味しかった!
下画像右に写ってる貝もめっちゃ美味しかったです。
(お膳容器の手前右に入ってる貝)
つまようじでクルリンと出して食べるやつ。
何の貝だろう??私の母親は四国出身の人なんですけど、
母の郷里に帰ったときに、よく食べたニーナという貝に
味が似てる?余ったら、持って帰りたいくらいでした
屋形船7

屋形船8屋形船9

この日は、女優を目指して修行中の、イマハシミハルちゃんという女の子も一緒に船に乗り込みました。
偶然にも、この日、彼女は24歳のお誕生日。屋形船でお祝いしてもらうお誕生日って、いい記念になりそうですよね
小柄で可愛らしい雰囲気の彼女ですが、お偉いさん方達にも臆することなくお酌をして回ってました
彼女は、昼も夜もバイトをかけもちしながら、劇団の稽古に通い、練習に励んでるのだとか。 
若いって素晴らしいですね! 忙しいことが楽しかった時期が、私にも昔あったような笑
名前や顔写真ともにブログに掲載OKですと了承を頂いたので、これからちょこちょこと記事に登場するかも・・・??

屋形船13屋形船14

行き交う他の屋形船の写真をパチリ・・・
船内は飲んで騒いでだったので、途中、色々な橋の下をくぐったのですが、それに気付く人は皆無・・・笑  
天気が悪かったのもあり、景色を見ることに関しては皆の士気は下がっていたようです
むしろ、誰を船の外に落とすか、とっくみあいになっていて、 船の人がハラハラ監視してたのがちょっと申し訳なかった・・・

屋形船5屋形船11

でも、久しぶりに鼻先をくすぐる潮の香り、心地よかったです 隅田川って海水がかなり入ってるような感じでした。
そして、屋形船は隅田川を下り、東京湾へ。雨で視界がくぐもってるとはいえ、レインボーブリッジが目の前に開けてきた時は、
ちょっと壮観でした。夜に見たら、もっと綺麗な風景だったかもしれない・・・屋形船は、夜の方が面白い?!かも・・・

屋形船10屋形船12

飲んで騒いだ二時間は、あっという間でした
でも、貴重な経験ができて良かったです。
次回また乗ることがあれば、今度はしっぽりと楽しみたいな笑

私のブログは、できればアートや芸術系のことに
特化したものにしたい・・・という思いがあるのですが、
なかなか記事作りが追いついていかないために、
今回は、プライベートな内容の記事をアップさせて頂きました。
今後もこういうツナギ記事、たまに登場するかもしれません
ヨロシクお願いします・・・
屋形船6


 ← ← ← ポチって頂ければ、励みになります  宜しくお願い致します


web拍手 by FC2

ホッと一息・・・

訪問して頂いて、有難うございます!
なかなか記事を更新できなくてごめんなさい
先月から、取りかかっていた公募展に出品する作品を、やっと仕上げ、無事に送ることができました
レベルの高い公募展で、出品することに気持ちが引けてしまうというか、臆する気持ちがあったのですが、
今の私にとって、出品するまでのプロセス全てがとても大きな経験になると思い、挑戦してみました。

作業は、思ってた以上に苦しかったのですが、
ひとつひとつの作業に手をかけていくうちに、自分の中で掴めたものがたくさんあり、そのことが本当に大きな喜びでした

私は、決して社交的な性格でなく、一人で黙々と作業する方が好きなのですが、(むしろ、人と一緒に何かをやるのはニガテ)
それでも、心の中では普遍的に何かを伝えたい感情を持っていたり、それらを他者と共有したい、もっといえば寄り添いたいと
願う気持ちも持っています。作品を作りながら、そう願う気持ちがより一層強く込み上げてくるの感じました。

技術的なことよりも、自分はこういう世界を描きたい!こう表現したい、ひいては自分がこうでありたい・・・みたいな
色んな思いが交錯する中、自分の方向性が少しだけでも形になって見えてきたように感じました。

これから先、自分が作るひとつひとつの作品が、必ず私をひっぱっていってくれると思います。

今、無事に出品し終えてホッとした気持ちもあるのですが、それ以上の喜びに包まれてるかも・・・笑  


 ← ← ← ポチって頂ければ、励みになります  宜しくお願い致します


web拍手 by FC2

 | HOME | 

AUTHOR

慧喜

Author:慧喜
広島県出身 関東住みです。
アートに関すること
アーティスティックな世界に触れて
自分が感じたことを
アップしていきます。
些細な足跡ですが
関わった全ての皆さんの
お役にたてますように 
(*≧∀≦*)

【PCでの閲覧を激しく推奨します】

ランキングに参加中です☆


にほんブログ村 美術ブログ 絵画へ
どちらかをポチって頂けると、嬉しいです!┏(<:)

COUNT

TRANSLATION

CATEGORYS

TRACKBACKS

画家 榎俊幸さんのHPサイト

画家 安冨 洋貴さんのブログ

Pencil artist Ayumiさんのブログ

LINK


一年以上、アクセスを頂いてない場合は、外させていただくこともあります。ご了承下さい。

MAIL

SEARCH FORM

Designed by Miya@loconet 

FC2Ad

Copyright © 慧喜~Trip of the art All Rights Reserved.